ISISはイスラム教ではない
それはISISと呼ばれるが、2014年の6月29日にカリフによる政権の再設立を宣言して以来、世界のメディアはその団体によって行われた多数の残虐行為を報告している。したがってイスラム教徒と非イスラム教徒の両方の真のイスラム教的価値観を育て、イスラム教と極端な行為を融合させないようにする必要があると感じた。 更にイスラム法やイスラム史に関係する資格を持つイスラム教徒は、イスラムの価値観について伝えるだ…
それはISISと呼ばれるが、2014年の6月29日にカリフによる政権の再設立を宣言して以来、世界のメディアはその団体によって行われた多数の残虐行為を報告している。したがってイスラム教徒と非イスラム教徒の両方の真のイスラム教的価値観を育て、イスラム教と極端な行為を融合させないようにする必要があると感じた。 更にイスラム法やイスラム史に関係する資格を持つイスラム教徒は、イスラムの価値観について伝えるだ…
「ムハンマド(彼に平安あれ)は自らクルアーンを作成し書いたのだろうか?」 いいえ、ムハンマドﷺはクルアーンを書かなかった。彼ﷺは文盲であったので、そうすることはできなかった。彼ﷺは読む事も書く事もできず、その事実を証明するものは多数いた。 「ではムハンマドﷺがクルアーンを書かなかったのなら、だれが書いたのか?」 クルアーンを「作成」した人はいない。クルアーンは天使ガブリエル(アラビア語でジブリール…
アメリカのイスラーム教徒の女性は、1400年以上前にアッラー(神) より預言者ムハンマド(彼に平安あれ)へ啓示された、 純粋なイスラームを再発見している。 しかしそれは先代の文化と何も矛盾しない。 そして彼らは本質上,自らを再発見する為の生涯の課題に従事している。人間でありムイスラーム教徒の女性であるとは何を意味するのか。 頭を覆う布(ヒジャブ)を纏うことは、 彼女たちの精神性向上への重要な一部分である。 現代のイスラーム教徒と非イスラーム教徒が、一様に尋ねる最も一般的な問題は以下の通りだ。 何故イスラーム教徒の女性は頭を布で覆うのか? 答えはとても簡単だ。彼女たちはアッラーに命じられたからである。 預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに 長衣を纒うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて 済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。 (クルアーン33:59) ムスリムは、聖クルアーンに啓示されているように、かれの規範に沿って、使徒ムハンマドﷺの教えを通じて、主のみへの崇拝を人生で唯一の目的と信じる。そのようにヒジャブを纏うことは神への従順行為である。したがってそれを纏うことの主要な基礎を形成する。 イスラムとイスラーム教徒に関する一般化は今日のメディアに満ちている。ヘッドスカーフを纏ったイスラーム教徒の女性はしばしば不当な汚名を着せられる。彼女たちは一方で抑圧されていて、他方では熱狂的で原理主義者と考えられている。両者は著しく間違っていて、不正確だ。それらの描写はこれらの女性のヒジャブに対する強い感情を歪めて伝えているだけでなく、彼らの勇気とヒジャブが示す個性を認識することもできない。ヒジャブを禁止する国々さえある。 キリスト教からイスラームへの改宗者であるアミナ・アッスィルミは、ヒジャブについて尋ねられた時、次のように答えた。:私にヒジャブを付けずに外へ出かけるように頼むことは、私にとって修道女が上半身裸になるようにと頼まれるようなものだ。私は本当に驚いている、そして不思議でしょうがない。彼らはイエス(彼に平安あれ)の母であるマリア様に、髪を見せるように命じるのだろうか。 もう一方の誤解は、イスラーム教徒の女性がヒジャブを強制されているという考えだ。本当に最終的にヒジャブを身に付けると決心することは、しばしば難しいことだ。瞑想の日々と、家族または広いアメリカ社会からの否定的な結果と反応への恐れ,そして最終的に決定に達するまでに、沢山の勇気が重く必要となる。 ヒジャブの着用は非常に個人的で独自の決心だ。それはアッラーの命令の基礎を成す叡智に感謝し、アッラーのみに仕えるという願いから在る。 私にとってはヒジャブを着用するという決心に至るまでが、実際にそれを着用するより困難だった。周囲から否定的な感想を受け取ったが、ヒジャブを纏うことで得られた謙虚さの感覚が喜ばしく、皮肉にも、否定的な視線でイスラーム教徒として、キャサリン・ブロックと言うイスラムに改宗したカナダ人として特定されて、より誇りを感じた。 私にとってヒジャブは、アッラーからの贈り物だ。それはアッラーにより近くなる機会を与えてくれる。そして全く重要なことに、堂々と立って、イスラーム教徒として、メリーランドのロックヴィルのファリハ・カンとして認められる機会が与えられる。 ヒジャブは、女性をイスラームの支持者と特定すると共に、相当な責任が生じる。ヒジャブは単なる身体を覆う布ではなく、さらに重要なのは、公衆でのふるまいや行儀や言葉や外観だ。 ヘッドスカーフは外部に象徴される、内部にあるアッラーのみを崇拝するという決心の顕れであるイスラーム教徒自身または内部の道徳は外部のスカーフに意味を与える。これは全てのイスラーム教徒の女性の態度、ふるまい、服装、言葉その他から気付かされる。イスラームとイスラーム教徒に関する誤報が多い土地では、イスラーム教徒姉妹はイスラームをその真実の御光に描写する機会が与えられた。 ニュージャージー州のラトガース大学の卒業生のサバ・M・ベイグは、真剣にヒジャブを着用し始めたのが、17歳の時だった。サバは今も尚内部のヒジャブを学ぶ課程にあると感じている。最大の実感は、単に頭にスカーフを纏っていることではなく、むしろ心へのベールだった。ヒジャブは外部を覆う布以上のものだ。外部を覆うことは他の点に比べれば簡単だ。それは更にもっと謙虚さや、自己をどのように表現するかということに尽きる。 そこにイスラームへの改宗者の信念(イマ-ン)が加えられる。残念なことに、不都合な点もある。差別されたり、まるで強制されたかのように扱われる。私はアッラーの為のみにこれを纏っている、それは私が望んでいるから。それだけだ。 キャサリン・ブロックは、私がヒジャブを纏い始めてから、皆私により慎重に振舞うようになったと気が付いた。例えば罵るようなことがあれば、謝罪した。私はそれがうれしかった。ヒジャブはきちんとした正しい習慣への見込みを与えてくれた。 ヒジャブは謙虚な行為 慎み深い衣類とヒジャブは社会違反を避けるための警戒処置だ。次のクルアーンの節は、ヒジャブが女性だけに限られないことを強調している。 男の信者たちに言ってやるがいい。「(自分の係累以外の婦人に対しては)かれらの視線を低くし,貞潔を守れ。」それはかれらのために一段と清廉である。アッラーはかれらの行うことを熟知なされる。 信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし,貞淑を守れ。外に表われるものの外は,かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は,かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。(クルアーン 24:30-31) ジャ-ビル・ビン・アブドゥッラーによると、彼は不注意に見知らぬ女性を熟視する男性について尋ね、使徒ﷺはこう答えた。「あなたの目を背けなさい。」(ムスリム)他の伝承では、使徒ﷺは女性を見ることを窘められたとある。使徒ﷺは二度目の一瞥は悪魔によるものだと述べた。 イスラーム教徒と非イスラーム教徒が一般的に考えているのとは逆に、ヒジャブは男性が違法な欲求を抑制するために着用されているわけではない。それは上記の節と使徒ﷺの言行に見られるように、男性自らの責任だ。むしろ女性はそれを神と自らのために纏う。イスラームは節度のある両極端の調和の宗教だ。したがって、イスラームは女性のみに社会の道徳と廉潔(れんけつ)を支持するようにとは言っていない。むしろイスラームは子供達が正しく、美しく、建設的で実践的な価値と概念で成長できる健康的な社会的環境を、男性と女性の相互が作るように努めるよう要求している。 本当に多くの女性にとってヒジャブは、男性のために自己の生活と身体をデザインするべきではないという不断の助言だ。ヒジャブを纏う前は、他の人が私のことをどう考えたかに基付いて、自分自身のことを考えていた。しばしば女の子にあることで、幸せは、他人、特に男性が自分自身をどのように見るか次第である。 自分自身への見方が変わって以来、私は自尊心を覚えた。私は他人が私を美しいと思うかどうかは重要ではないと気が付いた。私は自分自身がどれだけ美しく、アッラーが私を美しいと思って下さると考えるだけで、自身を美しいと感じる。ベイグは詳しく語った。 イスラームの慎み深さとヒジャブの概念は全体論で、男性と女性の相互を含む。最終的な目標は社会的な安定と神に悦んで頂くことである。 イスラーム教徒の女性は自身の外観と、また顕著であるが故に、印刷物やメディアで歪んだ印象で見られることがある。 したがって、固定観念は永続され、イスラーム教徒の女性は、ヒジャブの宗教的な意味に親しんでいない人達には、神秘的に見られるようである。神秘的な雰囲気は彼らの生活習慣と信念と思考の体系が純粋に調査されるまで、取り除かれることはできない。そして誰かがその事に関して、謹んでイスラーム教徒の女性または男性に接近することを恐れない日が来るまでは達成されない。したがって次の機会にイスラーム教徒を見かけたら、立ち止まって、話しかけて下さい。神がお望みであれば、まるで異世界に入ったかのように感じるだろう。溢れるほどの謙遜と、信心と勿論、慎み深いイスラームの世界へ!
(1)精緻性 クルアーンはその内容を反証してみなさいと挑戦している。どのようにして?人間は様々な情報資源を集めても、精霊から助けを借りたとしても、クルアーンのような本を書くことは出来ないだろうと言われている。それは1400年前に伝えられたが、誰もそれを反証することは出来ていない。何十億もの書物が書かれているが、クルアーンのような本は他に存在しない。 (2) 信憑性 クルアーンは唯一長い間流通している宗教的な聖なる書物であるが、依然として原文のままに保たれている。 クルアーンは無傷である。加えられた箇所はなく、編集されず、1400年前に完全に啓示されて以来、部分的に取り除かれた箇所もない。 (3) 超越性 クルアーンは人類に対する神の最後の啓示だ。神はモーセに律法を、ダビデに詩篇を、イエスに福音を、そして最後にムハンマド(彼らに平安あれ)にクルアーンを示された。主の最後の啓示を超える啓典は現れないだろう。 (4)明白性 クルアーンは時間と精査の試練に耐えている。誰もこの本の真実性に関して争うことはできない。クルアーンは過去の歴史について話し、それは正しいと証明されている。また予言された将来について語り、それも正しいと証明された。当時人々に知られていなかった物理現象の詳細が述べられているが、その後の科学的研究でクルアーンが完全に正しいことが確認された。 他の全ての書物は、現代の知識に合わせて改訂される必要がある。現代の発見によって、全く矛盾のない書物はクルアーンだけである。 (5) 現世と来世への道しるべ クルアーンはあなたの人生を構造化する為の最良のガイドブックだ。人間の生命と努力のあらゆる側面を含み、そのような包括的なシステムを提示する本は他にはない。クルアーンはまた死後の永遠の幸福を確保する方法を指摘している。それはまさに天国への道しるべである。 (6) 導きという神の贈り物 神はあなたを一人にはしなかった。あなたは理由があって創造された。神はなぜあなたを創造したのか、あなたから何を望むのか、そしてあなたに何を用意しているのかを教えて下さっている。ある機械を作動させようとして、その仕様書に反することをすれば、その機械は壊れるであろう。私達に関してはどうだろうか? あなたの所有者はあなたの仕様書を授けただろうか? クルアーンは成功の為に機能し、さもなければ機能しない。それは神からの治癒と慈悲である。心を満足させて魂を洗浄する。疑心を取り除き、平安をもたらす。 (7) 神と通信する為の直通便 人間は社会的な生き物だ。私たちは他の知的な人々と通信することが大好きである。クルアーンは、すべての知性の源とすべての生命の源、即ち唯一の神との通信の仕方を教えてくれる。クルアーンは、神が誰であるか、私たちは神をどのような名前で表現すれば良いか、そして、神との通信手段を私たちに伝えている。 これら7つの点はクルアーンを読む為の十分な理由ではないだろうか?
ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)- 簡単な描写 読者の中には、キリスト教のプロテスタントやカトリック教会の方やユダヤ教徒や無神論者や不価値論者などの今日世界に存在する様々な宗教宗派に属している方もいるかもしれない。また共産主義者であったり、規則としての民主主義の元で暮らしている方もいるでしょう。あなたが誰であって、どういった政治的観念や社会習慣を身につけていたとしても、次の事を疑う余地はない。 ムハンマドﷺという男について知らなければならない。 ムハンマドﷺは地球上に初めて現れた最も偉大な男性だった。ムハンマドﷺは宗教を広め、国家を創設し、国を建て、道徳的規範を定め、様々な社会的そして政治的な改革を始め、強力で力動的な社会を確立した。それらは、いつまでも続く、彼ﷺの教えと、人間の思考と行動において完全に革命的な世界を、実践し体現するためであった。 「彼ﷺの名前はムハンマドである。」 ムハンマドﷺは570年にアラビア半島に誕生し、40歳の時にイスラーム(唯一神への従順)という真実の宗教を伝える使命を開始し、63歳の時に他界した。 預言者としての23年間という短期間に、異教と偶像礼拝から唯一神への崇拝へと、アラビア半島を完全に一新した。 部族の喧嘩や戦争から国家の連帯と結束、 酔っ払いと淫乱を節酒と善道へ、無法と無秩序から規律ある生活へ、完全な破産から道徳の最高水準へと改変した。 人類の歴史上、過去にも現在にも、人々や場所は、そのような完全な変容を成し遂げた事はなかった。そして20年以上に渡るその信じられない不思議な光景を想像して見て下さい。 世界には偉大な人格が現れた。だが彼等は宗教思想や軍事指導のような1つか2つの分野にのみ長けた人物達だった。 このような偉大な人格の人生と教えは時間の霧に包まれている。彼らに関しては様々な憶測を呼んでいる。例えば彼らの誕生の時と場所や、人生の様相とスタイルや教えの性質と詳細、また成功と失敗の程度と尺度であり、この男性方の人生と教えを正確に再現することは人類にとって不可能である。 だがムハンマドﷺはそうではない。彼ﷺは人類の歴史の炎の中で、そのような多様な人間の思考や行動の分野で非常に功を奏した。彼ﷺの私生活と公的発言の詳細は正確に文書化され、今日までに忠実に保存されている。このように保存された記録の信憑性は、忠実な信者だけでなく、偏見のある批評家によってさえも保証されている。 ムハンマドﷺは、宗教の教師であり社会改革者、また道徳の指導者、行政人、忠実な友人、素晴らしい仲間、献身的な夫、愛する父という特質の全てを1つにしたような方だった。人生の様々な面で彼ﷺより優れた人や同等の人物は歴史上現れなかったし、そのような驚異的な完成度に達したのは、ムハンマドﷺの無私無欲の人格からであった。 ムハンマドﷺは人間以上でも以下でもなかった。とゆうのも彼ﷺは人類を唯一神のみを崇める為に結束させ、人類に神の戒めに基づいた正直で真っ直ぐな道を教えるという高貴な使命を担っていた。彼ﷺは常に自らを「主の使いであり預言者」と表現し、実際に全ての行動に現れていた。 今日14世紀が過ぎたが、ムハンマドﷺの人生と教えは、少しの損失や改変や補間もなしに生き残った。彼ﷺの人生や教えは、人類の多くの悪弊、それは彼ﷺの存命の時にも人類が犯し彼ﷺが正したものであるが、彼ﷺの死後も同じように、それらの悪弊を正す不滅の希望を掲げている。それはムハンマドﷺの信者の主張ではなく、批判的で偏見のない歴史によって選出された避けられない結論である。 思慮ある人間として最低限出来ることは、しばらく立ち止まって自分自身に尋ねることだ。上記の驚異的で革命的な声明は本当だろうか?そしてその声明が本当だとして、このムハンマドﷺという男性の話を聞いた事もなかったとしたら、その驚異的な挑戦に応えて、彼ﷺの事を知ろうと努力する時ではないだろうか? 何の費用も掛からないが、あなたの人生にとって完全に新しい時代の始まりとなるかもしれない。フセイン・バシャ 我々はムハンマドﷺという地球上で類のない、その素晴らしい男性の発見へと招待するであろう。
アメリカのイスラーム教徒の女性は、1400年以上前にアッラー(神) より預言者ムハンマド(彼に平安あれ)へ啓示された、 純粋なイスラームを再発見している。 しかしそれは先代の文化と何も矛盾しない。 そして彼らは本質上,自らを再発見する為の生涯の課題に従事している。人間でありムイスラーム教徒の女性であるとは何を意味するのか。 頭を覆う布(ヒジャブ)を纏うことは、 彼女たちの精神性向上への重要な一部分である。 現代のイスラーム教徒と非イスラーム教徒が、一様に尋ねる最も一般的な問題は以下の通りだ。 何故イスラーム教徒の女性は頭を布で覆うのか? 答えはとても簡単だ。彼女たちはアッラーに命じられたからである。 預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、かの女らに 長衣を纒うよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて 済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。 (クルアーン33:59) …
イスラーム教はその真の純粋さと広大な愛と平和、従順、全能の神アッラーへの服従というメッセージと共にある一般の人々から成るチームです。