1. 服従
「本当にアッラーの御許の教えは、イスラーム(主の意志に服従、帰依すること)である。」(偉大なるクルアーン 3:19)
これはアッラーが偉大なるクルアーンの章で仰せられたことから解かる:
イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である(偉大なるクルアーン 3:85)
その服従は唯一アッラーに服従するという完全な意識と熱意ある努力を必要とする。
2. 帰依
「だがあなたがたの主に誓けてそうではないのである。かれらは信じないであろう。かれらの間の紛争に就いてあなたの裁定を仰ぎ、あなたの判決したことに、かれら自身不満を感じず、心から納得して信服するまでは。」(偉大なるクルアーン 4:65)
完全な服従は帰依の後に必要とされ、ムスリムに理解される為にいくつかの条項はアッラーによって説明されなければならない。アッラーが次の章で仰せられたように、選択肢はない。;
「信仰する男も女も、アッラーとその使徒が、何かを決められた時、勝手に選択すべきではない。」(偉大なるクルアーン 33:36)
アッラーとかれの使徒が、イスラームの道として打ち出したことは何でも、男性も女性も信仰者は完全に従うように義務とされる。信仰者は意識的かつ潜在的な良心でアッラーのしもべとして仕えなければならない。
3. 従順
「アッラーと使徒に従いなさい。」(偉大なるクルアーン 3:132)
「あなたがた信仰する者よ、アッラーに従いなさい、また使徒とあなたがたの中の権能をもつ者に従え。あなたがたは何事に就いても異論があれば、アッラーと終末の日を信じるのなら、これをアッラーと使徒に委ねなさい。それは最も良い、最も妥当な決定である。」(偉大なるクルアーン 4:59)
「使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。誰でも背き去る者のために、われはあなたを見張り人として遣わしたのではい。」(偉大なるクルアーン 4:80)
これは(クルアーンで)アッラーが私たち全てに奨励していることを行動に移すこと、またかれの愛すべき使徒ムハンマド(彼に平安あれ)が彼のスンナ(彼の慣習とクルアーンを擬人化する言葉)を実践するよう促したことを意味する。
アッラーへの自由意志への帰依そして帰依の規約と条件を批准した後に、ムスリムは契約の規約にそって生き方が義務になる。
偉大なるクルアーンと聖なる使徒ﷺの教えにあるアッラーの命令に従うことに最善を尽くすことは信者の責任である。
4. 誠実さと純真な意志
心は清らかで正直でなければなりません。アッラーは純正で純正なもののみ受け入れます。
“本当に行いは意志によって報酬が与えられる。そして皆意図したものに対しての報酬を受ける。」[預言者ムハンマドﷺの言行)
信者としての成否の鍵は誠実な意志である。人が行う全ての事柄をアッラーのためだけに行い、自慢したり己に注目を喚起しないように努める。
たとえ微候でも自慢や見栄が見られたなら、アッラー以外の他にからの報酬を望んだとしたら、全ての行いは審判の日に拒否されるだろう。これはアッラーが意志と行いの純真さを求めるという事実によるものだ。
5. 平安
あなたとアッラーの間
平安は偉大なるクルアーンで58回述べられ、最も求められる地球上の全ての人間の生活条件だ。平安はまた偉大なるクルアーンの中でアッラーが自らを名付けた性質の一つだ。
「かれこそは、アッラーであられる。かれの外に神はないのである。至高の王者、神聖にして平安の源であり、信仰を管理し、安全を守護なされ、偉力ならびなく全能で、限りなく尊い方であられる。アッラーに讃えあれ。(かれは)人が配するものの上に(高くおられる)。」(偉大なるクルアーン 59:23)
私達は皆、生活の中である種の平和と安らぎを達成する為の努力を行なっている。それを踏まえた上でその他の4つの条件をが満たされると、それはアッラーを本当に探し求めている者への必然の結果である。
よってアッラーに総に帰依、完全に心から服従し従順すると直ぐに、結果として人は総体的で完全な平安を現世と来世で得る。しかしながら彼らが試練から解放されるという意味ではない。
そしてそれは早急に理解されなければならない。アッラーが愛する者こそ試練を与えられる。アッラーが述べたように現世と来世で成功する者は試されるだろう。
「人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。本当にわれは、かれら以前の者も試みている。アッラーは、誠実な者を必ず知り、また虚言の徒をも必ず知っておられる。」(偉大なるクルアーン 29:2-3)
自我と決別し、信念と行動でアッラーのみに総に帰依すると、私達は心に平安を感じるだろう。心に平安を築くと、外面の行動にも平安が現れるだろう。