もし神が存在するなら、何故悪や不正義、そして戦争を創造したのか?
神は純粋で、善で、愛で公正であるのだろうか? もしそうなら悪、憎しみ、不公正はどこ から生まれるのだろうか? アッラーは私達に 御自身が純粋で、愛情に溢れ、絶対に公正であり、最高の裁判官であると述べている。 また人生は試練の場であると伝えている。彼は存在するもの全てと同様に、起こる全ての出来事を創造した。 アッラーが創造したもの以外には何も存在しない。かれはクルアーンの中で、悪を創造したと述べている(かれは悪ではない)かれはこれを多くの試練の1つとして挙げている。 地球で悪事を働いた後、悪によって得た利益の豊かさの中で、熟老年期を送り、今までの自らの行為を問われる事無く、死んだ人々の事を考えてください。 そこに正義や公正はあるだろうか?アッラーは、最も邪悪な人々のために何が用意されているかに関して、クルアーンで明確な答えを示唆している。 かれらはこの世で束の間の享楽をなし、それからわれの許に帰るのである。その時われは、不信心であったことに対して厳しい懲罰を味わせるであろう。[偉大なるクルアーン 10:70] その日、人びとは分別された集団となって(地中から)進み出て、かれらの行ったことが示されるであろう。 微塵の重さでも、善を行った者はそれを見る。 微塵の重さでも、悪を行った者はそれを見る。[偉大なるクルアーン 99:6ー8] 人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。 本当にわれは、かれら以前の者も試みている。アッラーは、誠実な者を必ず知り、また虚言の徒をも必ず知っておられる。 悪を行う者は、われを出し抜くことが出来ると考えているのか。かれらの判断こそ、災いのもとである。 アッラーに会うことを切望する者よ、アッラーの(定められる)期限は確かに来る。かれは全聴にして全知であられる。 信仰のために奮闘努力する者は、自分自身のために奮闘努力しているのである。アッラーは、すべてのものに、何一つ求めない。 われは信仰して、善行に勤しむ者には、いろいろの罪を取り消し、その行った最善のことに、必ず報いるであろう。 われは人間に、両親に対して親切にするよう命じた。だがもしかれら(両親)が、あなたに対し何だか分らないものをわれに配するように強いるならば、かれらに従ってはならない。あなたがたは(皆)われの許に帰る。その時われは、あなたがたの行ったことを告げるであろう。われは信仰して、善行に勤しむ者を、必ず正義の人びとの中に入らせるであろう。 人びとの中には、「わたしたちは、アッラーを信仰します。」と言うが、一度アッラー(の道のため)に苦難に会うと、人間の迫害をまるでアッラーの懲罰であるかのように考える者がある。またもしあなたの主からの助け(と勝利)が齎されると、かれらは必ず、「本当にわたしたちは、あなたがたと一緒でした。」などと言う。万人の胸の中に抱くことを最もよく知る御方は、アッラーではないか。 アッラーは、信仰する者たちも、偽信者たちをも必ず知っておられる。[偉大なるクルアーン 29:2ー11] 報酬と罰は、確実に永久的な来世の人生の一部だ。この世で苦しみ、一生懸命に生き、善い行いと犠牲に対して何も示すことができなかった人々も、信仰を維持した結果、これらのことが一時的ではなく永遠である場所で、更なる報酬を期待する事が出来るだろう。 腐敗し、侵害し、傷害を与え、悪と破壊を行う人々は、ここであらゆる正義を免れているように見えるが、来世においては、彼らも自らの労働の成果を目にするだろう。 抑圧に関しては、アッラー御自身が禁じるものであり、また誰かが他の誰かを抑圧する事を嫌われる。 かれはすべてに対して、絶対的な力を保持している。かれは病と死、さらには抑圧の存在さえも許すことによって、私たちは皆試されているのだ。